ボパ・デビ王女死去、火葬は25日(月)に 伝統舞踊の復興に尽力

カンボジア通信No.24 

2019年11月22日版 

カンボジアのボパ・デビ王女(故シアヌーク国王の長女、ラナリット元首相の姉、シハモニ国王の異母姉)が11月18日、タイ・バンコクの病院で約2週間入院の後、亡くなった。76歳だった。

 ボパ・デビ王女は、王室舞踊団の舞踏家・監督として活躍。内戦で衰退した伝統舞踊をはじめとする文化復興にも努め、文化芸術大臣(1991年~93年、1999年~2004年)も務めた。

 ボパ・デビ王女のご遺体は19日にタイからカンボジアへと到着。カンボジア国内では20日を服喪の日と定めて、アルコールの販売や娯楽番組の放送などを控えるとともに、半旗を掲げるよう通達が出された。

 クメールタイムズ紙などによると、王女のご遺体はプノンペンのワット・ボトム寺院に安置されており、シハモニ国王をはじめとする王室関係者や、フン・セン首相をはじめとする政府関係者が相次いで弔問のため訪れているという。

 王女は、カンボジアの王室舞踊を国際的に広め、これがユネスコの無形文化遺産に登録される上で、功績があり、2013年には、カンボジアの人間国宝の称号を付与された。その死去にあたり、王室舞踊団は王女の過去の映像などをウェブサイトに掲載したが、その中には、無形文化遺産に登録された際の映像もあり、当時文化芸術相であったボパ・デビ王女はこう話している。「カンボジアの伝統舞踊は無形文化遺産に登録されたが、それでこの活動が終わるわけではない。私や、他の踊りの師たちは年老いている。だから次の世代に引き継ぎたいと思っている。すべての若者のみなさん。芸術家だけでなく、すべてのみなさん。どうか、私たちの文化を守るよう、そしてその文化の発展のために私たちの祖国を支えて欲しい。私たちは、ほかの何を真似するのでもなく、自分たち自身の手で、この文化を作り上げてきたのだから」

 カンボジアのポル・ポト時代、知識人や芸術家たちは、政権の「粛清」の対象となり、殺害された。その中には多くの伝統舞踊の踊り手もいた。そのため、ポル・ポト時代と続く内戦時代、こうした伝統文化は多くの担い手を失い、消滅しかけていた。文化を取り戻すことは、国民の誇りを取り戻すことに等しい。ボパ・デビ王女の言葉を今一度かみしめたい。

 王女のご遺体は、7日間、ワット・ボトム寺院に安置された後、火葬が25日午前9時50分から行われ、シハモニ国王はじめ王族や政府高官等が列席し、多くの市民も参列した。

 [日本カンボジア協会のご入会 ]
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